カルチャー

信楽に来て25年。いまでは移住者を受け入れる立場になりました【滋賀に気づいた人interview#015 】

※お出かけの際は、マスクの着用や手洗いの徹底、ソーシャルディスタンスを保った行動など、感染予防の徹底をお願いします。また、お住まいや、お出かけされる都道府県の要請をご確認ください。各施設の最新の営業状況については、公式ホームページをご確認ください。

【滋賀に気づいた人interview#015】

陶芸家に憧れ、20代前半で陶器のまち・甲賀市信楽町へ。
陶器卸会社で鍋や植木鉢の商品デザインの仕事をしながら、ゆっくりと信楽の地に慣れていきました。
35歳の時、信楽で出会った陶芸家と結婚し、出産。夫が作る器に麻紀さんが絵付けをする夫婦共同スタイルで、夢だった陶芸家の道を歩み始めました。
信楽での四半世紀を振り返り「今ではここがホームタウン」と穏やかな表情を浮かべます。

陶芸家になりたくて、20代で信楽へ

__陶器のまち・信楽へ来ることになったきっかけは?

芸術大学で陶芸を学んでいたんですが、卒業後は大阪でデザインの仕事に就いていました。でも、1年くらい勤めてみて、やっぱり自分は陶芸に関わる仕事がしたいなと思って。大学のゼミの先生に相談したら、信楽の陶器卸会社を紹介してくれました。

__生まれ育った土地を離れて就職することに抵抗はありませんでしたか?

漠然と陶器の仕事をするなら京都か信楽でと思っていたので、そんなに抵抗はなかったです。当時、信楽は若い人も積極的に受け入れているという話を聞いていたので、あまり心配はしていなくて、それよりも自分のやりたい仕事ができることのほうが嬉しかったです。

地元の人はみんな顔見知り同士。最初は戸惑うことも

__移住後、どんな仕事をされたのですか?

陶芸家として活動したいという想いはあったんですが、まずは信楽で足場を固めようと、紹介してもらった会社で働きました。企画室に配属され、新商品の企画デザインを任されたのですが、入社2年目で同じ部署の人が私以外誰もいなくなってしまって……。デザインの図面を描いたり、作家さんと調整したり、商品の販路開拓をしたり、ほとんどの過程をひとりでやっていました。かなりハードでしたが仕事は楽しかったし、周囲の人も支えてくれたので、その仕事で得たものは大きかったと思います。それに、地元の人のところに何度も足を運び、顔を合わせることで少しずつではありますが、信楽という土地に馴染んでいくきっかけにもなったと思います。

※「滋賀に気づいた人interview」は『しがトコ』が企画・取材を担当し制作しています。この記事は、滋賀県公式の移住ポータルサイト『滋賀ぐらし』で公開されています。

しがトコ採用情報

関連記事

  1. お膳と庭園 身体にいいものを少しだけ。五感がひらく自然の中の古民家ファスティ…
  2. あの豪雨の時、琵琶湖がためた水の量は約5億トン!天ヶ瀬ダムの13…
  3. 国も言葉も文化も違う、宿泊客同士が交流できる『ゲストハウス無我』…
  4. 滋賀の離島沖島で“ふなずし”漬けを体験!その一部始終…
  5. メイン 職人が集まり暮らす珍しい地域、米原市上丹生「木彫りの里」で木彫り…
  6. 記録的な大雪となった滋賀県各地の状況
  7. びん細工てまり(愛荘町) 幸福のシンボル!ころんと可愛い『びん細工てまり』は江戸時代より伝…
  8. 青春21文字中吊り 電車に乗ればあの日の言葉がいまも揺れている。『青春21文字のメッ…
滋賀No.1メディアで魅力を発信しませんか
PAGE TOP