【滋賀区を旅する#002】
首都圏で滋賀の魅力に触れられる場所『滋賀区』。
第2回は“知る”をテーマに、1人の人物にスポットを当てて
その生涯、そして彼が生きた時代の激動が感じられる場所をご紹介します。
その人物とは、滋賀県民の中でも歴代トップクラスの有名人、
彦根藩第13代藩主 井伊直弼!
「安政の大獄」や「桜田門外の変」など、
ちょっと辛めな出来事とともに語られることが多い井伊直弼ですが、
その人生は、生まれた時から山あり谷ありの連続だったのです。
隠居するように暮らした青年時代。その後、奇跡的に江戸へ
晩年は江戸幕府の大老として活躍した井伊直弼ですが、
生まれてから30歳ぐらいまでは意外なほど地味でした。
井伊家の14男として生まれたため、当主になるなんて夢のまた夢。
自らを花咲くことのない埋もれ木に例え、「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた
彦根城近くの屋敷で隠居するように暮らします。やや自虐的な青春時代です。
そんな直弼に転機が訪れたのは32歳のとき。
兄・直元の急死により次期藩主に抜擢、
またたく間に江戸城に勤務することになります。
良い日も悪い日もここから出勤、屋敷跡シリーズ
東京都千代田区の「紀尾井町」は、当時この辺りに屋敷のあった
紀州家、尾張家、井伊家の頭文字をとって名付けられたといわれています。
「紀尾井町」
住所:東京都千代田区紀尾井町
当主になった直弼が暮らしたのは「彦根藩井伊家上屋敷」。
現在は千代田区永田町の「憲政記念館」がある辺りです。
大老に抜擢された日も、桜田門で暗殺されるその日も、
直弼はこの場所から江戸城に出勤していました。
ちなみに桜田門はここから500メートルほどの距離にあり、
憲政記念館のある丘の上から望むことができます。
「憲政記念館」
住所:東京都千代田区永田町1丁目1−1
紀尾井町にある「ホテルニューオータニ」の辺りには
隠居した主や成人した跡継ぎが暮らす井伊家の「中屋敷」がありました。
ホテルのシンボルでもある美しい日本庭園には、屋敷跡を示す看板が。
庭園では、当時からあったことが確認されている2本の大木を見ることができます。
かつて直弼も、幕府の政治に頭を悩ませながら、この庭園を散歩したのでしょうか。
「ホテルニューオータニ」
住所:東京都千代田区紀尾井町4-1
電話番号:03-3265-1111(ホテル代表)
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毎年お正月には多くの参拝者で賑わう「明治神宮」は、明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社です。
その敷地の一部には、井伊家の「下屋敷」がありました。
苑内には当時から変わらず澄んだ湧き水を湛え続ける「清正井」があり、
直弼もこの水で喉を潤していたことでしょう。
「明治神宮」
住所:東京都渋谷区代々木神園町1-1
電話番号:03-3379-5511
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ついに訪れた人生のハイライト。直弼、開国を決める
直弼が藩主になって3年後の1853年、江戸湾に黒船がやって来ます。
見たこともない巨大な船と、大柄な欧米人から開国を迫られて幕府は大パニック。
1858年4月、鎖国派と開国派が激しく対立するものすごく厄介なタイミングで
直弼は大老の職につき、開国を決定します。
1858年6月には日米修好通商条約が締結され、横浜、神戸など5港が開港。
「井伊掃部頭(かもんのかみ)」と呼ばれていた直弼にちなんだ
横浜市の「掃部山(かもんやま)公園」には、
直弼の銅像が横浜港を見つめるように建てられています。
「独断で開国した」と言われている直弼ですが、
本当は、朝廷の許可なしでの開国には最後まで反対していたのだとか。
一説では日本の安全を守るためにまずは開国し、それから朝廷の許可を得ようとしたそうですが
朝廷の説得に失敗。その後の確執から「安政の大獄」が起こり対立が激化します。
日本のためを思ってやったことが上手くいかず、
時代のゴタゴタを受けて世の反感を買ってしまった直弼。
今、台座の上から横浜港を見つめ、何を思うのでしょう。
「掃部山公園」
住所:神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘57
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そして訪れた最期の日「桜田門外ノ変」
「安政の大獄」により多くの人から恨みを買った直弼に、
ついにこの日が訪れます。
1860年3月3日、牡丹雪の舞う朝、ひな祭りのお祝いに江戸城へと出勤する道中の桜田門で、
直弼は尊王攘夷派の刺客に襲われ、最期を遂げます。享年46歳。
季節外れの悪天候が直弼を守る家臣たちの動きを鈍らせ、
襲撃はわずか十数分の出来事だったそうです。
「桜田門」
住所:東京都千代田区皇居外苑
直弼が眠る寺から生まれた「ひこにゃん」
直弼の墓は、井伊家の菩提寺である世田谷区の「豪徳寺」にあります。
彦根藩主の菩提寺がなぜ東京に?と思いますが、そこにはこんなエピソードが。
江戸時代のはじめ、当時の彦根藩主 井伊直孝が
鷹狩りの帰りにこの付近を通りかかると、寺の飼い猫が手招きをしました。
一休みしていこうかと寺に入った途端に急な雷雨となり、
その様子を見た住職が「過去・現在・未来は全て繋がっていて、
何事も原因があって結果が生じるのです」と三世因果について語ったそうです。
直孝は「猫のおかげで濡れずに済んだ上に、住職のありがたい話まで聞けた」
と大変喜び、豪徳寺を井伊家の菩提寺としました。
このお話から豪徳寺は猫を祀るようになり、
境内には猫、猫、猫…おびただしい数の招き猫が奉納されています!
そして現代、豪徳寺の白い猫 + 井伊家の赤い兜 で生まれたのが
みなさまご存知の「ひこにゃん」です。
住職の言うように過去の出来事が未来を作るのなら、
直孝が猫に招かれたその日から、ひこにゃんが誕生することは
すでに決まっていたのかもしれませんね。
ゆるキャラグランプリでは王者に輝き、
今や日本中のファンから愛されているひこにゃん。
天国の直弼が見ていたら「現代人のやること、よう分からん…」と思っているかもしれません。
このように波瀾万丈の人生を送った直弼でしたが、
「彦根」と「井伊家」の名前を背負って活躍しているひこにゃんを見て、
少しでも癒されてくれたらと思います!
「豪徳寺」
住所:東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
電話番号:03-3426-1437
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※この記事は、首都圏における滋賀ゆかりのある地域などを掲載した『滋賀区』をさらに周知・拡大する事業のもと「しがトコ」が企画・取材を担当し制作しています。