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『鎌倉殿の13人』にも登場!木曽義仲が眠る「義仲寺」で真の姿に迫りました

【義仲寺(ぎちゅうじ)/滋賀県大津市】

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場する木曽義仲は、
ここ、粟津の地(現在の滋賀県大津市)で、討ち死にしました。

その菩提寺でもあるのが、大津市膳所にある「義仲寺」。
義仲の愛妾であり、女武者としても活躍した巴御前が、
日々供養したことがはじまりと伝わるお寺です。

木曽義仲のお墓の横には、
江戸時代の俳人、松尾芭蕉も眠ります。
なぜ、ここにお墓があるのでしょう。
その真相を、しがトコ編集部で取材してきました。

旧東海道沿いに佇む小さなお寺

1駅句碑

取材チームが最寄り駅、JR膳所駅に集合。
まず、駅前北口広場でこんな句碑を発見!

「木曽の情 雪や生えぬく 春の草」。

これは俳聖・松尾芭蕉が1691年(元禄4)年1月に詠んだ句で、
木曽義仲が眠る『義仲寺』の土中から、極寒でありながら春の草が
芽を出しているのを見て、疾風怒濤の人生を若くして
終えた義仲の情念に想いをはせたといわれる作品。
心ざし半ば、若くして亡くなった義仲の想いを感じて、いざ取材をスタート!

義仲寺旧東海道

駅から北へ約300メートル、
旧東海道に沿いに『義仲寺』があります。

木曽義仲のお墓がなぜ滋賀県大津市に!?

義仲寺義仲像

この辺り、古くはびわ湖に面し「粟津ヶ原(あわづがはら)」と呼ばれました。
義仲は都へ入った後、この地で源頼朝に命を受けた
源範頼・義経の軍に追われて討ち死。
義仲の側室で共に戦った巴御前(ともえごぜん)が、
義仲のお墓を守るために草庵を結んだのが寺の始まりとされ、
寺の名前も義仲をここに葬ったことに由来しています。

義仲境内案内
境内を案内してくれる山下高彦さんと一緒に、
『義仲寺』の見所をさっそくみて回ります!

4義仲墓

「まずは義仲のお墓をご覧ください。このお墓は首から下の胴塚で、
首塚は京都の八坂神社近くの法観寺にあります」と山下さん。
元々はこのような、立派なお墓ではなく、
室町時代の終わり、時の近江国守・佐々木六角がこの地を見て
「源家大将軍の御墳墓荒るるにまかすべからず」と再建したそう。
時を経てもなお、大切に拝められる。義仲の偉大さが感じられますね。

5巴供養塔

義仲の墓の横に建つ、巴御前の供養塔。
巴御前は女性ながら、義仲と共に戦い続け、
義仲と最期を共にしようと懇願しましたが、
「自分の分まで生きろと」と義仲に命じられ、
なくなく義仲と死に別れました。
このことから、供養塔が義仲の墓の横に建てられたそうです。

31歳の若さで亡くなった木曽義仲の足跡に触れる

6朝日堂覗き

次に見せてもらったのは、本堂の朝日堂。
「義仲は平家討伐の兵を挙げて都に入った時、
朝日が昇るような勢いだったことから朝日将軍と呼ばれました。
その呼び名にちなんで朝日堂という名前になりました」。

7朝日堂 中

正面の本尊は聖観世音菩薩。
左側に並ぶ沢山の位牌の中で一番奥の真ん中が、義仲の位牌。
その右側が、義仲と木曽で一緒に育った今井四郎兼平の位牌です。
兼平は巴御前の兄であり、最後まで義仲と運命を共にした盟友です。

8逗子

本尊の右側に並ぶ黒い箱、
左側が義仲の木像で、右側が子の義高の坐像です。
普段は中を見ることができませんが、
今回は特別に見せていただきました!
戦略に長け、人望の厚い義仲の雄姿を垣間見ることができ、
取材チーム一同、興奮!

木曽義仲に惚れ込んだ松尾芭蕉

9芭蕉墓

義仲のお墓を横目に奥に進むと、すぐに芭蕉のお墓があります。
1694年、大阪で亡くなった芭蕉は、
「骸は木曾塚に送るべし」と遺言し、『義仲寺』に着きました。
「芭蕉と義仲とは500年の時代差があるのですが、
義仲を敬愛し、人情深い大津・近江の地が好きだったので、
芭蕉はこの地を選んだのでしょう」と山下さん。

10翁堂

境内の一番奥、趣ある茅葺の建物が翁堂です。
このお堂で芭蕉がお祀りされています。

11翁堂中

正面奥に芭蕉の坐像があり、
その周りに36人の門人の肖像画があります。

そして取材チーム一同が、興味津々に覗きこんだ天井には、
伊藤若冲の天井画「四季花卉図」。
シャクヤク、カキツバタ、ボタンなどの草花が描かれた板絵15枚で構成。
傷みを配慮して、現在はデジタル技術で精巧に再現された複製で、
現物は大津市歴史博物館で保管されているそう。
この花卉図は寄贈されたもので、
若冲と『義仲寺』とは直接関係がありませんが、
若冲の巧みで繊細なタッチが翁堂をより魅力的に飾りあげています。

12 史料観

芭蕉は40歳のときに初めて大津を訪問。
それから亡くなるまでの10年間に8回も大津に足を運んだとか!
そして、大津に来た際は必ず『義仲寺』に泊まったので、
数々の芭蕉の遺留品が残っていて、この史料観に展示されています。
その中の一部をご紹介しましょう!

13芭蕉直筆
これは芭蕉の実際の字です!
芭蕉直筆の短冊を元にして、彫師がその通りに木に彫り、
版木を作って紙に刷っていました。

ちなみに、この左から2つ目の短冊、杖の絵は彫師がサービスとして描いたもの。
色々な字の書き方をしているのも面白いですね。

14杖

この杖が、芭蕉が実際に使用していた「椿の杖」。
思ったより、細くて頼りない感じがしませんか?
椿は強い木で、近畿で旅をする時はこの杖を使ったそうです。

15句碑行く春

外に出てみると、境内のいたるところに建つ句碑を発見!
20の句碑の中で、芭蕉の句は3つ。
その中でも、この句碑は芭蕉直筆の句碑です!
「行く春を 近江の人と おしみける」
すぎゆく春のはかなさを滋賀の人と分かち合ったのでしょうね。

受付の事務所でもらえる「義仲寺案内」の裏に、
番号付き句碑の地図と句碑案内が載っているので、
照らし合わせながら境内を回るのも、
また面白いですよ!

義仲寺無名庵
ここが、芭蕉が使っていた無名庵(むみょうあん)。
元々は巴御前が住む小さな庵でしたが、
後に芭蕉が常宿にし、俳諧の会などが行われるようになりました。

芭蕉が詠んだ「義仲の 寝覚の山か 月悲し」。
義仲が破竹の勢いで京に進撃した昔をしのんで詠んだといわれる一句。
芭蕉は義仲の功業とその悲劇に同情し、
また、情に厚かったという義仲への敬愛の思いで、
この地に度々足を運んだのかもしれません。

義仲寺に来たら見たい、可愛いいろいろ

義仲寺 土産棚
受付の事務所には、『義仲寺』や大津にちなんだ、
可愛いお土産が並びます。
義仲について、より知見を深められる冊子や、
シュールで可愛い(笑)芭蕉手ぬぐいなど。
手にしたいものが、沢山!

19池カエル

境内の池には日本古来の石亀が沢山います。
暖かくなると、境内をウロウロしていて、
お寺の人気者なのだとか!

小さな境内に見どころがぎっしり

20山下さん

「小さな境内に歴史や俳諧を感じる沢山の要素がぎゅっとつまった
美しいお寺です。ぜひ一度、訪れてみてください」と山下さん。

時代に翻弄された義仲の人望と功績、その後の悲劇を。
また芭蕉が残した義仲と滋賀への多大なる愛を感じ、
取材チームも楽しませてもらいました。

ぜひ皆さんも『義仲寺』で、義仲の息吹を感じてきてくださいね!

(文・安部愛子 写真・しがトコ編集部)

(記事公開日:2022年4月3日/最終更新日:2023年3月9日)

記事を書いた人
安部愛子/滋賀県大津市出身・在住。びわ湖から唯一流れ出る川・瀬田川を身近に感じながら育ちました。大学進学を機に県外に出るも、びわ湖のない土地に窮屈さを感じ、びわ湖のありがたみを実感!
滋賀の地域情報紙記者を経て、現在は子と共に育ちながら滋賀の魅力を再発見しています。

『義仲寺』の情報

住所
〒520-0044 滋賀県大津市馬場1丁目5-12
休日
月曜日(祝日除く)
拝観時間
3月から10月:9:00~17:00  11月から2月:9:00~16:00
電話番号
077-523-2811
料金
大人500円、中高生200円、小学生100円
しがトコ採用情報

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