【滋賀に気づいた人interview#010】
大手スポーツ量販店の敏腕バイヤーとして
大阪、岡山、長野、岐阜と転々と過ごしてきた田中さん。
結婚を機に、セレクトショップを開きたいと考え、滋賀に戻ることに。
自分らしい暮らしを求めて土地探しを始めた田中さん家族の心を掴んだのは
伊吹山の雄大な風景と、米原の温かい住人たちでした。
想定外だった米原で、念願のセレクトショップをオープン
__田中さんのお店『!sn’t !t design.(イズントイットデザイン)』は、伊吹山もお店の一部になったような素晴らしいロケーションですね。
秀典さん:そうでしょ。このロケーションありきのお店ですから(笑)。この景色に惹かれて、ここで店をしようと決めたんです!
__始めから伊吹山の麓でと決めていたのですか?
秀典さん:いや、そういうわけでもなくて。スノーボードが好きだから、自分の店を持つなら絶対雪の降るところがいいとは思ってました。でも正直に言えば、そのときは米原市はあまり想定してなかったかも。米原をよく知らなかったこともあるし、なんとなく、長浜とか高島の方がメジャーかなと。
__それがどうして米原市になったんですか?
秀典さん:まず移住を考えたときに、まずは各市の窓口に連絡してみようと思って一斉にメールしてみたんです。そしたら、すぐに返信をくれたのが米原市だったんですよね。その担当さんがすごく良い人で!移住と同時に起業も考えていること相談したら、店のことにも真剣に相談にのってくれて。
__それで米原市に興味を?
秀典さん:そうなんです。そのとき妻は妊娠中だったのですが、そのことにもすぐ気づいてくれて。
亜里紗さん:すごく気遣っていただきました。駅前のスーパーに行っても、お店の人が「大変やろ。頑張りや」って声をかけてくれたり、荷物を運んでくれたり。この辺では当たり前のことみたいですが、その優しさとか気遣いに感動しました。後日、市の担当者の奥様からも、知らない土地での出産や子育ては不安だろうからって、周辺の病院の特長を書いたお手紙までもらったんですよ。
秀典さん:米原市に初めて相談に来た日の帰り道には、米原に住もうって決めてました(笑)。それから、真剣に米原市内で物件を探すうちに、伊吹山の麓の土地にも巡り合え、住まいもお店も米原になりました。
※「滋賀に気づいた人interview」は『しがトコ』が企画・取材を担当し制作しています。この記事は、滋賀県公式の移住ポータルサイト『滋賀ぐらし』で公開されています。
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