【中畑・古里遺跡 発掘調査現地説明会/滋賀県野洲市】
衝撃のニュースが流れてきました!
滋賀県野洲市で、弥生時代の大型建物跡が見つかったというのです。
しかも、場所は近江富士こと、三上山を望む場所。
今からおよそ2000年前、ここに人々が集まり、
祈りを捧げていたのかもしれません。
もしかすると、この近江の地には、
古墳時代よりもっと以前、
大きな”くに”があったのかも!?
そんなワクワクを確かめに、
6月6日に野洲市で行われた
「中畑・古里遺跡 発掘調査現地説明会」に行ってきました!
全国から考古ファンが集まった、熱気の現地説明会
会場は、野洲市妙光寺。
国道8号野洲栗東バイパスの工事現場のすぐそばです。

長らく水田として使われてたこの地域にバイパスが通り、
商業施設も建設中。その前の発掘調査が行われています。
現地に到着してまず驚いたのは、人の多さ。
臨時駐車場はほぼ満車。
受付にも長い列ができ、発掘現場の周囲には、
カメラを構えた人や、資料を片手にじっと地面を見つめる人たちがずらり。

約1000人弱の熱気に包まれ、
「これはただごとではないぞ」という空気が、現場全体に漂います。
説明会が始まると、参加者たちはロープ越しに身を乗り出すようにして、
担当者さんの話に耳を傾けていました。
見つかったのは、県内最古・最大級の弥生時代の大型建物跡

今回見つかったのは、弥生時代中期末から後期初頭、
今からおよそ2000年前の大型掘立柱建物跡です。
大きさは、短辺約7m、長辺約18m。
床面積にすると約126㎡。
説明によると、滋賀県内で見つかっている弥生時代の大型建物の中では、
最古かつ最大のものになるそうです。
「掘立柱建物」とは、地面に穴を掘り、そこに柱を立ててつくる建物のこと。
現地では、地面に残された柱穴の跡が、
白い線で囲われていました。

一見すると、ただの大きな穴のようにも見えます。
でも、そこに2000年前の柱が立ち、大きな建物があり、人々が集まっていたのだと想像すると、目の前の土が急に違って見えてきます。
今回見つかったのは、あくまで柱穴の跡。
屋根や壁など、建物の上の部分は残っていません。
そのため、どんな姿の建物だったのか。
神社のような建物だったのか。
平屋だったのか、高い建物だったのか。
そこまでは、まだわからないそうです。
でも、周辺から一般的な住居跡が見つかっていないこと。
この大型建物だけが、集落から少し離れた場所に単独で建っていたと考えられること。
そうした状況から、日常生活のための建物ではなく、祭祀に関わる特別な建物だった可能性があるそうです。
わからないことが多い。
でも、だからこそ想像が広がります。
なぜ、こんなに注目されているのか?

今回の発見がすごいのは、単に「大きな建物跡が見つかった」からではありません。
大きなポイントは、この建物が、守山市の国史跡「伊勢遺跡」で見つかっている大型建物よりも古い可能性があること。伊勢遺跡では、弥生時代後期の大型建物群が見つかっており、祭祀や政治に関わる重要な場所だったと考えられています。
ところが今回の中畑・古里遺跡の建物は、それよりもさらに古い時期のもの。説明会では、伊勢遺跡の大型建物の“原型”や“プロトタイプ”にあたる可能性があると紹介されていました。つまり、これまで伊勢遺跡で突然現れたように見えていた大型建物の文化が、実はその前から、この野洲の地で始まっていたのかもしれない。
古墳時代になると、教科書には大和王権や巨大な古墳が登場します。でも、そんな社会が突然生まれたわけではないはずです。その前には、米づくりが広がり、水を分け合い、土地を守り、祈りを共有し、人々がまとまっていく長い時間があった。
今回の発見は、そんな“国になる前の社会”を知るための、大きな手がかりになるかもしれません。
2000年前の人々も、同じ三上山を見ていた?

そして、この場所の魅力を一気に物語に変えてくれるのが、三上山の存在です。
現地に立つと、発掘現場の向こうに、近江富士こと三上山が見えます。
近すぎず、遠すぎず。
見上げるというより、少し離れた場所から、山の姿をしっかりと望むことができる。
説明会でも、この場所は三上山がとてもよく見える位置にあり、三上山の存在を無視しては考えられないのではないか、という話がありました。
さらに、ここから北東へ約2kmの場所には、24個もの銅鐸が見つかった「大岩山銅鐸」の出土地があります。
銅鐸が作られ始めた時期と、今回の大型建物が建てられた時期は重なります。

銅鐸の破片や鋳型など、直接の証拠が見つかったわけではありません。
それでも、時代と場所を考えると、大岩山銅鐸との関係は無視できないそうです。
2000年前の人々も、同じ三上山を見ていた。
その山を望む場所に、大きな建物を建てた。
そして近くでは、祈りの道具とも考えられる銅鐸が生まれていた。
そう思うと、この場所はただの発掘現場ではなく、近江の人々の祈りが重なった場所のようにも見えてきます。
滋賀の足元には、“国になる前の時間”が眠っている

野洲には大岩山銅鐸。
守山には下之郷遺跡、服部遺跡、伊勢遺跡。
野洲川流域には、弥生時代の近江を語る重要な遺跡が点在しています。
滋賀は、ただ古いものが残っている場所ではありません。
2000年前の人々が、山を見て、祈り、暮らし、社会をつくっていた場所。
その時間の深さが、いま私たちの足元から少しずつ見えてきています。
いつもの三上山が、少し違って見える。
そんな現地説明会でした。
(文・写真:林正隆/編集:しがトコ編集部)












