【竹生島/滋賀県長浜市】
琵琶湖の湖北、長浜市の沖合にぽっかりと浮かぶ竹生島。
古くから「神の棲む島」と呼ばれたこの島を、織田信長や豊臣秀吉ら、天下を夢見た戦国武将も深く信仰していました。
港から船で30分。
ちょっとした船旅の先にある、特別な場所です。
「神の棲む島」って、どんな場所?
竹生島は、琵琶湖の北側に浮かぶ小さな無人島。
琵琶湖に浮かぶ島としては、沖島に次いで2番めに大きい島です。

島全体が花崗岩の一枚岩からなり、周囲がぐるっと岩に囲まれていて、島全体がどこか神秘的な雰囲気。
昔から「神の棲む島」と言われてきた理由が、一歩足を踏み入れると、なんとなくわかります。
実は、琵琶湖という名前の由来も、この島にあると言われています。
竹生島に祀られている弁才天が持つ琵琶から連想が生まれ、湖の形が琵琶に似ているという認識が広まり「琵琶湖」という名が生まれたそう。
島内にある宝厳寺は、西国三十三所の第三十番札所でもあり、今も多くの参詣者が訪れます。
戦国武将も崇めた聖地
実はこの島、織田信長や豊臣秀吉といった名だたる戦国武将たちも、わざわざ参詣に訪れた場所。
戦国時代、北近江を治めた浅井氏は竹生島を厚く庇護しました。
その浅井氏を滅ぼし湖北を支配下に置いた織田信長も、竹生島には一目置いていたそう。

「比叡山焼き討ち」など、強権的な宗教政策で知られる信長ですが、竹生島の宝厳寺には朱印状を発給し、寺領を保護していました。
姉川の戦いの後、いち早く竹生島の宝厳寺に参詣したことも記録に残っています。安土城から片道約60キロの道のりを、その日のうちに往復したんだとか!
人々の心のよりどころだった竹生島。信長もこの島を信仰することで、新たな領地を円滑に統治しようと考えていたのかもしれません。

都久夫須麻(竹生島)神社の本殿は、秀吉が寄進した伏見城から移築したもの。現在は国宝に指定されています。
秀吉は信長から浅井氏の旧領・北近江を与えられ、長浜に居城を築きました。そして、長浜の地を足がかりに天下人へと出世しました。
秀吉は長浜に特別な想いをもって、終生大切にし続けたそうです。

参道の階段を降りた先に現れる、黒漆に金箔が鮮やかな国宝の唐門も秀吉ゆかりのもの。
秀吉が築いた大坂城の「極楽橋」の一部なんです。2006年、オーストリアで発見された屏風絵により、この事実が判明しました。
大坂夏の陣で大坂城が焼失した今、豊臣期の大阪城の遺構として現存する唯一のものが、この唐門です。

唐門から続く舟廊下(重要文化財)は、秀吉の朝鮮出兵時の御座船・日本丸の船櫓を利用して造られたと伝わります。
竹生島には、大坂城、伏見城、秀吉の御座船という、豊臣の栄華を象徴する三つの遺構が今も息づいているんです。
願いごとを、湖に放つ。「かわらけ投げ」

琵琶湖にせり出すように立つ鳥居。
ここで体験できるのが「かわらけ投げ」です。
小さなお皿を湖に投げて、鳥居をくぐれば願いが叶うと言われています。うまくいくかどうかは、ちょっとした運試し。
旅の思い出としても、つい挑戦したくなる体験です。
船で30分。気軽に行ける神秘の島

こんな魅力的な竹生島ですが、長浜港(長浜市)もしくは今津港(高島市)から、船で約30分。彦根港(彦根市)からなら45分の船旅を楽しめます。
琵琶湖の上を進む船からの眺めも格別!湖上クルーズを楽しむだけでも、十分満喫できるスポットです。
戦国の武将たちも崇めた、神の島「竹生島」。その歴史を紐解きながら、戦国の滋賀を再発見してみるのも面白いかもしれませんね。
(記事公開日:2014年3月9日/最新更新日:2026年1月9日)
「竹生島」の詳細データ
- 住所
- 滋賀県長浜市早崎町
- 公式サイト
- 竹生島 宝厳寺
- アクセス
- →琵琶湖汽船
→琵琶湖観光船オーミマリン
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