【滋賀に気づいた人interview#009】
2010年『信楽まちなか芸術祭』のスタッフとして
期間限定のつもりで信楽に来た松田晃余さん。
芸術祭をプロデュースする大学と地元のパイプ役として奔走するうちに
信楽に根付く文化や人のつながりに惹かれるようになりました。
イベント終了後もそのまま信楽に残り、いまや自他ともに認める“信楽通”。
持ち前の行動力と笑顔で、信楽の魅力を発信する仕掛人として活躍中です。
自分がなにかできる場所を探して信楽へ。そこで出会った人々に惹かれて
__松田さんが信楽へ来られたきっかけは?
長野県松本市で生まれ育ち、大学を卒業して地元で就職。それまでなんとなく進んできた人生に、ふと「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と疑問を感じたんです。子どもの頃から漠然と“美大生”という響きに憧れていたこともあり、25歳のときに思い切って『京都造形芸術大学』の通信教育部に入学しました。
そこで空間演出デザインを学び、卒業後大学の先生の誘いで『第1回信楽まちなか芸術祭』をプロデュースすることになりました。信楽は母親の故郷で親しみある地だったこともあり、1年間限定のつもりで信楽に滞在し、大学と地元のパイプ役を務めました。
__イベントスタッフとして働いていかがでしたか?
もともと人と話すのが好きで、それが自分の強みだと思っていたので、信楽でもまずはたくさんの人と知り合おうと意気込んでいました(笑)。地元の方は、あっという間に顔も名前も覚えてくれて、イベントも大成功に終わりました。イベントに外からたくさんの人が来てくれたことも嬉しかったですが、なにより地元の方に喜んでもらえたことが嬉しかったです。イベント最終日には、有志のみなさんがサプライズでねぎらいの打ち上げ花火をあげてくれ、ただただ感動でした!
イベントが終わってこれから何をするかと考えているときに、「信楽町観光協会で働かないか?」と声をかけてもらい即決断しました。
(松田さん撮影)
__移住を即決した理由は?
イベントでさまざまな人と関わるうちに「自分のやりたいことができる場所はここだ!」と気づいたんでしょうね。住民主体で開催し続ける冬のイルミネーションイベントなど、地元の人が信楽に誇りを持って、町を良くしたいと頑張っている姿を見て、「私もお手伝いがしたい」と。観光協会ならそれができますよね。
よそ者目線で信楽を発信。訪れる人の“入り口”になりたい
__今は観光協会でどんなお仕事をされているんですか。
主に広報担当です。各地へ出向いて信楽のPRをしたり、SNSを使って発信したり、イベントのお手伝いもします。普段は観光案内所を兼ねた『信楽伝統産業会館』にいるので、観光客の方に信楽の町を案内することもあります。地元の人には見慣れた風景でもよそから来た人には新鮮だったりするんです。そのあたりは移住者の私にしか発見できない部分でもあるので、信楽の魅力をうまく発信して、信楽へたくさんの人が来てくれるきっかけ=“入り口”になりたいと思っています。
※「滋賀に気づいた人interview」は『しがトコ』が企画・取材を担当し制作しています。この記事は、滋賀県公式の移住ポータルサイト『滋賀ぐらし』で公開されています。