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右も左も石の壁。先が見えないほど続く石積みの階段や、
高さ6メートルのそびえたつ石垣……。
滋賀県近江八幡市にある『安土城跡』は、
織田信長が3年を費やし完成させた“見せるための城”。
しかし、わずか3年で炎上し、幻の城とも言われています。
現在は建物の基礎である石垣だけが残っていますが、
その石垣がただならぬ迫力。
今回は、現地の観光ガイド案内のもと
織田信長の時代に思いを馳せながら、
石垣に固めらた城跡を歩いてきました!
当時の石垣が残る、国指定特別史跡「安土城跡」
JR安土駅から徒歩約20分。
標高198mの安土山一帯に安土城跡はあります。
織田信長が約3年をかけて築城した安土城は、
「本能寺の変」の後に消失し、今は石垣が残っています。
駐車場前にあつまり、手続きを済ませます。
この日は、ふたつのグループに分かれて
安土城跡をめぐりました。
この先にお手洗いはないので、
入山の前に済ませておくのもポイントです。
観光ガイドによる説明を聞いて、いざ出発!
目の前に見える山が、歴史に名高い「安土山」です。
遠くから見るとなだらかな丘のようにも見えた
安土山ですが、近づくとぐっとその高さを感じます。
入口すぐには、途方もない石段が!
こちらが安土城跡の入口。
入山料を支払い、進んでいきます。
さあ登るぞ!と意気込んで目に飛び込んでくるのは、この石段。
先に行ったグループがあんなに遠くに…と目を見張る長さです。
この石段を見てちょっと自信が揺らいだ…
そんな時はウォーキングを支えてくれる“杖”を
借りることができます。
「まあ…行けるかな?!」と迷った人も、
“転ばぬ先の杖”を手にしながら歩いてもよいかも。
遠慮は無用です。
いよいよ、石段を登ります!
道幅は、約6m。およそ180mにもわたって
石で固められた直線的な階段が続きます。
ここは「大手道」と呼ばれる
頂上の城郭へつづく大切な道でした。
石段の途中で立ち止まり、
後ろを振り返ってみました。
まだまだ登り始めたばかりの石段ですが、
それでも周囲の田園風景が見えてきます。
頂上から見える景色はどんなふうだろうか…そんな思いを胸に、
石段をひとつずつ登っていきます。
「大手道」沿いには、信長公の家臣の邸宅跡が残っています。
こちらは、身内以外で唯一、信長公に進言できたといわれる
武井夕庵(たけいせきあん)邸とされる場所。
石段に使われている石の大きさはまちまちで、
一定の幅ではなく、登りにくい場所も。
足運びに気をつけながら登っていきます。
さまざまな“石”の魅力あふれる安土城跡
自然ゆたかな山の中を歩く安土城跡ウォーキングですが、
ここはかつてお城が築かれた場所。
人の手によって運ばれた、さまざまな“石”と
出会うことができるのも魅力です。
たとえば、これまで何気なく登ってきた石段ですが、
なにやら特別な石があるというのです。
それが「石仏」と書かれた大きな石。
本来であれば、仏様として拝まれていた石が
石段の一部として埋め込まれているんです。
仏様の石を踏むわけにはいかない…と
お賽銭を置いていく人もいたそうで、
いまでは案内板とお賽銭をいれる器が設置されています。
「石仏」はいくつかあるので、
石段を登る際は、ぜひ足元にも注目しながら
登ってみるのもおすすめです。
さらに、室町時代作の「佛足石(ぶっそくせき)」という
大きな石も伝わっています。
「佛足跡」は、お釈迦様の足をあらわす石。
これだけ目立つ石ですから、
長きにわたって祀られていたのかというと…
発見されたのはなんと崩れた石垣の中!
信仰の面から考えて、大丈夫だったのかな…と、
当時に思いを馳せてしまいます。
そして、安土城の“石”として外せないのは、この石垣です。
長い時間の経過を伝えながらも、今もなお堅牢な姿が見られます。
安土城跡を歩く時は、石たちのゆたかな表情にも注目です!
天守ではなく「天の主(あるじ)」
石段を登り続け、ようやくひらけたところに出ました!
「本丸跡」に到着です。
案内の石柱を見ると…
一般的な天守という書き方ではなく、
天“主”の文字が。
まさに、天のあるじ。信長公らしい表記です。
このあたりの石段は、大きさが整えられ
りっぱな石が使われてのぼりやすくなっています。
徐々に、安土城の中枢に近づいてきたのが分かります。
目印となるこの場所は、黒金門跡(くろがねもんあと)。
ここから先は、信長公とその側近たちが生活した
エリアでした。
黒金門を過ぎた先にある2つの石碑。
左には「二の丸跡」
右には「織田信長公本廟」と書かれています。
本廟(ほんびょう)とは
亡くなった人をお祀りする場所のこと。
ここには、信長公のお墓があるのです。
あたりは木に囲まれた、静かな場所。
1583年に羽柴秀吉らが建立した、信長公の本廟です。
じつはお骨は埋まっておらず、
代わりに太刀や烏帽子、直垂(ひたたれ・当時の男性用衣服)と
いった遺品が埋葬されているそう。
天主閣からは琵琶湖が見えていた!?
御廟を過ぎたらいよいよ、「天主閣」に到着です。
堂々たる文字の書かれた石柱を見ながら、
斜めに伸びる階段をのぼります。
規則正しく並んでいるのは「礎石(そせき)」。
安土城の柱を支えた土台となる石です。
不思議なのは、周りの土地より一段低い場所に
礎石が並んでいること。
これは、安土城には「地下エリア」があったため。
当時の安土城を描いた絵にもその様子が描かれています。
眼下には近江八幡の町並みが。
信長公もこんな風に田畑や町を見おろしていたのかな…と
想像してしまいますが、じつはそうではありません。
当時、安土山のすぐそばまで琵琶湖が広がっていて、
信長公が見ていたのは、広く雄大な琵琶湖でした。
安土城を描いた絵がこちら。
左上のあたりに、船が走る様子が描かれています。
当時の建物がそのまま残るエリアも
天主閣を見終わったあとは、折り返しの復路。
下りの階段が待っています。
登りとはまた違う筋肉を使う道のりを、
ゆっくり進んでいきます。
森を抜けると、立派な三重塔が姿をあらわしました。
この三重塔は、滋賀県湖南市の長寿寺にあった
1454年築のもので、国の重要文化財。
安土城の築城にあわせて移築されたものです。
ここからの眺望も抜群です。
当時、この場所には能舞台があり、
徳川家康公と能を楽しんだという話も伝わっているとか。
眼下に広がるこちらは西の湖(にしのこ)。
つき出した場所には住宅が並んでいますが、
ここから見るとまるで湖に浮かんでいるよう。
三重塔を過ぎ、石段を降りていくと
今度は屋根が見えてきました。
こちらは仁王門。
創建の際に柏木神社(滋賀県甲賀市)より移築されたもので
こちらも国の重要文化財です。
室町時代作と伝わる金剛力士像が堂々たる姿で
この場所を守っています。
山の自然と歴史にふれられる、充実感たっぷりのウォーキング
ここからはゴールに向けてラストスパート。
帰りは石段のないこんなルートも歩きます。
入口に戻ってきました!
杖を相棒として借りていた人は、ここで返却します。
現代風衣装の「信長飛び出し坊や」も一緒に
記念写真をパチリ!
安土城跡にはいつでも訪れることができますが、
近江八幡市では、地元の観光ガイドが
見どころを案内してくれるイベントを開催中です。
より詳しく歴史を知りたい方にはおすすめです。
また、安土駅付近には、安土城とともに建立した
信長公ゆかりのお寺「浄厳院(じょうごんいん)」や
安土城考古博物館など、歴史スポットが満載!
歴史好きにも、ウォーキング好きにもぴったりの
安土エリア。
足をのばして、まるごと安土の歴史にひたる一日を
過ごしてみてはいかがでしょうか。
(取材・文:しがトコ編集部 写真:山本陽子)
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