【湖里庵/滋賀県高島市】
吸い込まれそうな琵琶湖の青。
圧倒されて言葉が追いつかない。
話す会話、味わう料理。
すべての純度が研ぎ澄まされていく。
ここではみんなが詩人だった。
滋賀県の北西部、美しい琵琶湖を見守るように
ひっそりと佇む料亭「湖里庵(こりあん)」。
作家の遠藤周作氏が
最高の鮒(ふな)ずしを求めてたどり着いたのがこちらの店、
狐狸庵先生とも呼ばれていたみずからの名をもじり
命名したのが「湖里庵」の由来。
遠藤氏はこの店を何度も訪れては鮒ずしを堪能し、
また、奥琵琶湖の神秘的な景色そのものが
創作のインスピレーションとなり、
いくつかの物語がここから生まれている。
そんな「湖里庵」が2018年9月4日、
大型台風の被害によって全壊し、営業不能となった。
それから2年8カ月を経た2021年4月29日、
堂々とした姿で戻り、新たな歴史を刻みはじめている。
それぞれの思いを連れて、ここから始まる歴史
扉を開けた瞬間、目に飛び込む景色に息をのむ。
自然が、湖が、こんなにも美しいなんて!
鮒ずしの育った風土の中で、
鮒ずしを心ゆくまで味わってほしいとの思いから始まった料亭旅館
「湖里庵」の母体は、約230年前より続く「魚治(うおじ)」という鮒ずし屋。
美しい琵琶湖を見つめていると、
湖面の輝きそのものが、すべての命を祝福しているようにも見えてくる。
「わたしたちは琵琶湖を預かっているんです」と話す
七代目当主・左嵜謙祐(さざきけんすけ)さん。
ずいぶん昔、東京の百貨店で催事に出店していた時。
店頭に並ぶ鮒ずしを見てお客さんにこう言われたことがあったそうだ。
「フナを食べるの?湖の魚はおいしくないでしょう」。
それなら私の料理を食べに来てほしいと伝えると、
東京から本当に来てくれてたのだとか。
この景色を見ながら、ゆっくりと鮒ずし懐石を味わった後、
そのお客は、左嵜さんの顔を見つめてちょっとバツが悪そうに言った。
「ズルいわぁ。こんなにきれいな景色。
この環境で育った魚が、おいしくないわけがない」。
琵琶湖の魚は本当においしい。それを知ってほしいと話す左嵜さんは、
大学卒業後、京都吉兆嵐山店で料理修行した後、
実家の鮒ずし屋「魚治」に戻り、7代目となった。
鮒ずしは、寿司の起源とも言われる日本古来のなれずしの一種。
琵琶湖で獲れるニゴロブナを塩漬けにし、
ごはんと重ねて数ヶ月から数年漬け込み発酵させる
昔ながらの方法で作られた伝統的な発酵食品だ。
それぞれの蔵に棲みつく菌によって鮒ずしの味も違ってくる。
時を経て、過去といまをつなぐ”鮒ずし”
「魚治」の蔵に棲みつく菌は、創業の230年からずっと変わらない。
菌はとても繊細な生き物で棲みつく蔵の環境や、
気象条件によっても敏感に変化する。
鮒ずしは”菌”のおかげで作られていると言ってもいい。
2018年9月、台風被害で「湖里庵」が全壊した時、
奇跡的に蔵だけが生き残った。
230年の菌の歴史は、まだ生きていた。
「この場所でもう一度、店をスタートしよう」という、
左嵜さんの決意を後押ししてくれたのは、
蔵に棲みつく菌たちの存在だった。
およそ2年を経て、漬け込んでいた鮒ずしが再びこのテーブルに並ぶ。
(写真は鮒ずし懐石より、5月の8寸)
新たな「湖里庵」でその旨さを味わえば、
またここから、歴史が刻まれていく。
(写真は鮒ずし懐石より、先付「鮒の子付き膾」)
テーブルに座り、吸い込まれそうに美しい琵琶湖を眺めると、
湖面の上を風が走り抜けていく姿が見えた。
「風の通り道も、目に見えるんですよ。
夜になると、湖面には月の道も。
冬は冬で、しーんと静まりかえった空気で、
ここ奥琵琶湖は、雪に覆われた湖や山々が、
まるでノルウェーのフィヨルドのようだと言う人もいます」と左嵜さん。
「湖里庵」のある高島市マキノ海津町は、
琵琶湖に突き出すいくつもの岬がくねくねとした地形を成し、
その独特のシルエットが北欧のフィヨルドにも似ているという。
その風景の魅力について、遠藤周作氏はエッセイでこう語っている。
二月の午後、入江のようなその地点の周りの山々は白雪に覆われ、冬の弱い陽をあびた湖面は静寂で寂寞としていた。車からおり、コートのポケットに手を入れ、私は長い間、まるでスウェーデンかノルウェーのフィヨルドに来ているような思いだった。
「神秘的」という「湖里庵」の女主人の言葉はぴたりと当たっていた。人影のまったくない、この冬の景色は以後、私が年に一度はひそかに訪れる場所となっている。(遠藤周作「万華鏡」忘れがたい風景より一部抜粋)
光、風、時。自然の変化を活かした設計
「湖里庵」の1階には鮒ずし懐石、近江懐石がいただける予約制の食事席。
そして2階は宿泊設備を備えた1組限定の部屋。
食事席のふすまは滋賀県東近江市永源寺の野田版画工房によるもの。
唐紙の伝統技法を用いたふすまは、光の加減で見え方が変化し、
空間に奥行きを生み出している。
テーブルの高さや角度、ひさしの長さ、窓の大きさ。
すべては、自然の美しさを最大限に楽しむための設計。
この場所、この建物のすべてを知り尽くしている人でなければ、
「湖里庵」を再びつくることはきっとできなかった。
その大仕事を見事にやってのけたのは、
大阪で建築家として働く左嵜さんの弟、晋吾さん。
幼い頃からこの場所で遊び、太陽を浴びて、湖の音を聞き、
四季の変化や気温を肌で感じた人だけがわかる繊細な感性が、
琵琶湖の穏やかな波紋のように、店のそこかしこに漂っている。
建物が全壊し、店の営業ができなかった期間は
大津市のホテルの一角で仮店舗を構えて営業していた左嵜さん。
「あの時のお客さんとの距離感をここでも再現したかった」と
店内にはカウンター席を配置。
どの席からも琵琶湖が望めるよう
あえてテーブルの角度を斜めに設計したのだそう。
お客さんとの会話から生まれるセッションが
「湖里庵」らしさを形作っていく。
心がほどけていく、その一点を叶えるために
2階に上がると、そこは宿泊者だけが体験できる癒しの空間。
座る椅子、テーブル、ソファ、どれもすべて。
一つひとつの選択は「心をゆるやかに、五感でこの景色を感じてほしい」
その一点を叶えるために。
奥琵琶湖のフィヨルドに似合う北欧家具は、
ヤコブセン、ウェグナーとともに
デンマーク家具の代表的デザイナーであるフィン・ユールのもの。
琵琶湖の静寂を眺めるために配置されたソファは、
偶然にもフィヨルドという名が付けられていたそう。
ここに寝そべりながら空を飛ぶ鳥や
湖面を通り過ぎる風の輝きを見つめるひとときは
きっと忘れられない記憶のひとつになる。
台風被害から2年8カ月をかけて完成したことについて
左嵜さんは「昇華するにはそれだけの歳月が必要だった」と話す。
店が全壊して1年目は、早くもとの姿に戻したいと気持ちが焦るばかり。
台風への恐怖から新しい店は、コンクリート構造にしようかとも考えていた2年目。
その後、解体工事がスタートした時「湖里庵」の基礎部分から
江戸時代の石積みが出現した。
今の湖里庵に必要なのは、ここをコンクリートで固めることではない。
先代が残したものを、次の世代につなぐことなのだと、
その石積みをきっかけに、全壊した店の木材を再利用し、
新しい「湖里庵」を建てることを決めたと言う。
店の入り口には台風被害を免れた遠藤周作氏による
「湖里庵」の看板。創業当時の先代の意思が、
新たな建物を見守るように堂々と輝いていた。
歴史ある店は受け継ぐものが大きい。
その反面、新しいことを始める機会もそう多くはない。
災害で店が全壊してしまったが、
それから2年8カ月を経たいま
「いちから始める機会を、与えてもらった」。
そう思えるようになったと話す左嵜さん。
「だから再建、復興という言葉はあまり好きではないんです。
そうではなく、ここからスタートするという気持ちです」と、
やわらかな口調ながらも、凛とした決意とともに語ってくれた。
取材の最後、次のお客様の予定が入っているという
慌ただしい雰囲気の中だったが、
カウンターに立つ左嵜さんの姿をどうしても残しておきたくて、
無理を言って撮影させていただいた。
でも、それでよかったのだと、
この写真を見ながら思っている。
2021年4月29日、新たな「湖里庵」がスタートした。
(写真:辻村耕司 文:亀口美穂)
(記事公開日:2021年5月17日/最終更新日:2023年2月7日)
『湖里庵』の店舗詳細
- 住所
- 滋賀県高島市マキノ町海津2307
- 営業時間
- ※要予約(お問い合わせ・ご予約は公式サイトから)
- 定休日
- 火曜日・第一第三水曜日
- 料金
- 食事のみ 15,000円/宿泊(1名1泊2食付) 50,000円 いずれも税・サ別
- 電話番号
- 0740-28-1010(代)
- 公式サイト
- http://korian.jp