【滋賀区を旅する#008】
2020年。2度目のオリンピック開催地として
世界からの注目を集める街・東京。
世界有数の先進都市でありながらも、
その歴史はまだ浅く、約400年ほどです。
安土桃山時代の1590年に、徳川家康が本拠として江戸城を選び、
関東支配に乗り出したところから、
東京、そして現在の首都圏の発展は始まりました。
この首都圏の発展の中に、じつは、
近江国・滋賀県に関連するものが数多くあることはご存知でしょうか。
『滋賀区』とは、首都圏にありながら、そんな滋賀の魅力に触れられる場所。
今回は、その中でも歴史の面影がのこるスポットを中心に、
首都圏の中に同居する滋賀の魅力をご紹介いたします。
比叡山の日吉大社から派生した江戸の鎮守社「山王日枝神社」
(写真:別所隆弘)
約800年前に建てられた「山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)」は、
東京都千代田区永田町、赤坂エリアの街中に位置する神社。
滋賀県・比叡山の麓にある日吉大社をルーツとしています。
日枝神社に祀られているのは、
山の神様「大山咋神(おおやまくいのかみ)」。比叡山の神様です。
かつて徳川家康は日枝神社を江戸城の鎮守の社として城内に祀っていたそうですが、
その後、慶長9年(1604年)、徳川秀忠による江戸城改築の際には、
社地を江戸城外の麹町隼町に移し、庶民が参拝できるようになりました。
「山王日枝神社」
住所:東京都千代田区永田町2丁目10番5号
電話番号:03-3581-2471
祈祷受付時間:毎日午前9時から午後4時半まで随時受付
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比叡山延暦寺から伝わる穴太積みの江戸城石垣
江戸城の石垣も、じつは滋賀と深い関係があります。
戦国時代、城の石垣を専門とする石工の集団がいました。
それが、滋賀県大津市、比叡山坂本を中心に活躍した『穴太衆(あのうしゅう)』。
織田信長による延暦寺焼き討ちの際、「穴太積み」の石垣だけは頑丈で崩すことができず、
以降、江戸城を始め、全国の築城に、「穴太積み」の技術が導入されることになりました。
その技術を今でも見ることができる場所が、江戸城跡(現:皇居)にあります。
穴太積みの石垣の見学は、事前申請が必要ですが、皇居桔門前にて当日の受付も可能。
また、東京メトロ市谷駅の構内には、江戸城歴史散歩コーナーがあり、
地下鉄工事で発掘、出現した江戸城の石垣が再現されています。
『穴太衆』の技術を、ぜひ間近で体験してみてください。
「江戸城の石垣」
住所:東京都新宿区市谷田町1丁目「市ヶ谷駅」地下
東京の中にある小さな琵琶湖「不忍池」
(写真:別所隆弘)
東京都台東区、上野公園の敷地内。
周囲約2kmの天然の池「不忍池」は、
じつは”琵琶湖”に見立てていると言われています。
不忍池「弁天堂」は”見立て”という思想のもと江戸初期に建立されました。
不忍池を琵琶湖に見立て、池の小さな島を竹生島に見立て、
さらに、島を大きく造成し、竹生島の「宝厳寺」に見立てたお堂を建立しました。
まさに、東京の中にある小さな琵琶湖。
夏にかけて優雅な蓮の花を見ることができ、
美しい蓮を見ながら琵琶湖との共通点を感じてみてはいかがでしょうか。
「不忍池」
住所:東京都台東区上野公園5−20
彦根藩主・井伊直孝による井伊家菩提寺「豪徳寺」
滋賀県のゆるキャラといえば、一世を風靡した「ひこにゃん」ですが、
じつは「ひこにゃん」のモデルとなった“白い招き猫”が、
東京世田谷区『豪徳寺(ごうとくじ)』の招き猫であることは、あまり知られていません。
滋賀県と豪徳寺、じつはこんな由縁がありました。
話は江戸時代に遡ります。
彦根藩主・井伊直孝が「豪徳寺」の飼い猫に手招きされて寺に入ったところ、
待っていたかのように雷雲が立ち込め豪雨になったのだとか。
「この猫が招いてくれたから濡れずに済んだ。縁起が良い」と喜び、
以来、寺は彦根藩・井伊家の菩提寺とされたのだそう。
豪徳寺の境内には奉納された約1,000匹もの招き猫がずらりと並び、その姿は圧巻です!
ひこにゃんのモデルとなった猫に会いに、ぜひ訪れてみてはいかがでしょう。
「豪徳寺」
住所:東京都世田谷区豪徳寺二丁目24番7号
電話番号:03-3426-1437
開門時間:午前6時から午後5時まで
近江商人たちで栄えた「日本橋」
(写真:別所隆弘)
徳川家康が江戸幕府を開いた慶長八年(1603年)に江戸に日本橋が作られ、
東海道や中山道をはじめとする五街道の起点となりました。
以降、さまざまな人や情報、物資が行き交い日本経済の中心地として栄えるようになりましたが、
その大都市江戸の流通を支えていたのが、滋賀を故郷とする近江商人たちでした。
(写真:別所隆弘)
日本橋1丁目に店舗を構える「日本橋西川」は、400年来の歴史を誇る寝具専門店。
「ふとんの西川」と聞けば誰もがわかる有名店ですが、
もとは、滋賀県近江八幡市で生まれた西川甚五郎による
「蚊帳(かや)」の行商からスタートした近江商人でした。
商業と流通の中心地として発展してきた日本橋で、
現在も近江商人の教えを受け継ぎながら時代とともに変化し、発展し続けています。
「日本橋」
住所:東京都中央区日本橋1-1
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そして現代、滋賀の新たなルーツがここにも
(写真:別所隆弘)
有名ホテルが立ち並ぶ落ち着いた雰囲気の紀尾井町エリア。
この界隈には、江戸時代初期から大名屋敷が置かれていました。
「紀尾井町」の名前は、紀伊徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家の
三家の頭文字をとって名付けられたもの。
現在、ホテルニューオータニが建つ敷地には彦根藩井伊家の中屋敷が置かれていました。
「紀尾井町」
住所:東京都千代田区紀尾井町
ここにも滋賀の面影「国会議事堂」の象徴”三角屋根”
国会議事堂を象徴する”三角屋根”でも知られる『国会議事堂中央塔屋根』。
じつは、ここにも滋賀県の面影がありました。
「国会議事堂」
住所:東京都千代田区永田町1-7‐1
電話番号:03-3581-5111(大代表)
見学受付時間:平日の午前9時から午後4時
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この屋根の改修を手がけたのが、信楽にある「大塚オーミ陶業株式会社」。
“焼き物文化”の新たな道を切り開いた「陶板(toban)」の技術で、
国会議事堂中央塔屋根を改修し、建設当時の美しい姿に蘇らせるなど、
首都圏でも数々の実績を誇る会社です。また、1964年の東京オリンピックでは、
岡本太郎が手がけた壁面のレリーフ制作も手がけていたと言います。
一見すると共通項のない関係にもみえる滋賀と首都圏。
表面だけではわからない、街の歴史を掘り下げていくと、
首都圏の各地に”滋賀”の面影がありました。
東京、そして現在の首都圏の発展の中にかいま見える滋賀の文化。
歴史とともに混ざり合い、その土地に根付き生きていく。
首都圏にお住いのみなさんは、ぜひ各地に存在する滋賀の面影をたどりながら、
街中を散策してみてはいかがでしょうか。