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【滋賀区】東京日本橋にも足跡を残す滋賀発の商人「近江商人」を学ぶ

【滋賀区を旅する#009】

伊藤忠商事株式会社、西川株式会社、株式会社高島屋、
丸紅株式会社、株式会社ワコール…。
これら名だたる企業のルーツが、
じつは滋賀県にあると知っていますか?

滋賀に拠点を置きながら全国各地で行商していた「近江商人」が、
江戸時代以降の物流と経済を支えてきたと言われています。
五街道の起点となり水上交通の要衝としても栄えた東京日本橋は、
全国の物資が集まり、商業、経済の中心地としても発展しましたが
その影には滋賀発の商人「近江商人」の力も大きく影響していました。
現在の東京日本橋周辺には、いまなお近江商人系の企業が点在し、
その足跡を見ることができます。

本店を滋賀に置き、全国各地を商圏とした近江商人

岩根順子さん
そこで今回は、「三方よし研究所」の岩根順子さんに教えていただきながら、
あらためて見直したい近江商人の経営哲学や、
経済を支えてきたその活躍について学んでみましょう。

プロフィール:岩根順子
滋賀県彦根市で滋賀に関する書籍を数多く出版しているサンライズ出版株式会社代表取締役。2002年、近江商人の特性である「三方よし」の精神を産業の振興や企業理念への反映につなげる特定非営利活動法人三方よし研究所の創立に参加し、現在、専務理事を務める。近江商人の足跡調べがライフワーク。

2020年1月、伊藤忠グループは28年ぶりに企業理念を「三方よし」に改定すると発表しました。
この「三方よし」とは、近江商人共通の経営哲学であるといわれ
「売り手よし 買い手よし 世間よし」と分かりやすい言葉で伝わります。

江戸時代にさかのぼる哲学を、日本を代表する企業が取り入れたことで、
近江商人への注目が高まっています。しかし、肝心の「近江商人」については
意外と知らない人も多いのではないでしょうか?
まずは「近江商人」とは何かを改めて整理しておきましょう。

かつて「近江」と呼ばれていた滋賀県。
滋賀県で「近江商人」のルーツとなる商人たちが活動を始めたのは、
鎌倉時代から室町時代の中世にさかのぼります。

貨幣が流通して商品の売買がさかんになった中世には
全国各地に「市」が開かれ、特に滋賀県湖東地方の東山道沿いには数多くの市があり、
時に100人を超える集団で現在の福井県や三重県へと
商品を流通させていた特権的な商人たちがいました。

近江商人

彼らは、それぞれが商圏を守るために争ってもいました。
やがて、戦国武士たちによって安土、八幡、日野などに楽市楽座が生まれ、
だれもが自由に商売ができるようになり、新しい時代の「近江商人」が登場してきました。
「近江商人」とは近江に本店を置きながらも、その活動は広範囲にわたり、
全国各地の物産を流通させた商人を指します。
その活動は日本国内にとどまらず、ベトナムや中国、北米なに出かけるという
グローバルな視点を持っていたのです。

近江商人誕生の背景は、近江の地理的条件による

近江商人が誕生した背景には、
京都に至る多くの街道が通る交通の要衝であったこと、
近江の中央に位置する琵琶湖で船を使った物流が盛んであったこと、
仏教への信仰心が篤かったこと、教育水準が高かったことなど、
さまざまな説が考えられてきました。

もう一つ、岩根さんは「織田信長や、豊臣秀吉らが城を構えた戦国時代の近江は、
常に戦場となりその結果、近江の領地が細分化されていたことも
大きな理由ではないか」と考えています。

豊臣秀吉や徳川家康は合戦に勝利した後、近江の領地を全国各地の大名に分け与えました。
細分化された近江の領地に暮らす人々は、領主の地へ行くことが比較的容易だったことから、
こうした地域の人々が近江から離れた土地で商いを行うようになったと考えられます。

このように、鎌倉時代から盛んだった市や戦国時代における特異な歴史を背景に、
江戸時代の「近江商人」が花開いていきました。

東京日本橋の繁栄を支えた近江商人の活躍

「近江商人とまとめて呼んでいるものの、地域ごとに特色があります」と岩根さん。
「近江商人」は、滋賀県の限られた地域から誕生していて、
それぞれの商いの方法は少しずつ異なります。
近江商人を多く輩出したと言われているのが、
現在の近江八幡市、日野町、高島市、そして東近江市などのエリアです。

特に近江八幡市は、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次の時代に
城下町として栄えたものの、秀次が秀吉に追放されて城が破却されたため、
町人たちは他国稼ぎに生きる道を見出します。

八幡商人は、江戸日本橋へ進出し経済を支えた。「西川甚五郎家」は後の西川株式会社となる。

現在の近江八幡市から生まれた「八幡商人」は、
江戸のまちづくりをすすめていた徳川家康の招きで日本橋堀留周辺に早くから出店しています。
また当時未開発だった北海道を開拓したり、仙台を中心とした東北への出店など、
全国各地で強い影響力を持つようになり、京都や大坂にも進出していきました。

一方、八幡商人とは異なる方法で成長していったのが、
現在の日野町から誕生した「日野商人」、東近江市の旧五個荘 町、旧湖東町、
豊郷町、彦根市高宮町などを中心とする「湖東商人」です。

日野商人は日本橋よりも埼玉や栃木、群馬などの関東周辺地域で主に活動し、
全国各地に行商するスタイルで東北から九州まで各地に拠点を増やしていきました。
湖東商人は「近江商人」としては後発であったものの、
丸紅株式会社や伊藤忠商事株式会社の創始者を輩出し、
100年以上の歴史を持つ老舗企業が現在も商業活動を続けています。

埼玉県秩父市にある、地元で愛され続ける百貨店「矢尾百貨店」。創業者は近江商人で、埼玉県秩父市に移り住んで酒造業を始めました。その後百貨店へと成長した矢尾家は常に「よそ者」として地元に尽くしたため、幕末と明治期の一揆の際にもほとんど被害を受けなかったと言われています。

現在に続く「三方よし」の哲学を育んできたのは、
近江商人の商い場の中心が、出向いた地域であったことによるとされます。
近江から他国に出て商売しても、
その土地や商売相手のことを思いやる精神を育んできました。

その精神を言語化し、現在の三方よしの原典とされているのが、
東近江市石場の中村治兵衛の遺言書です。
1754年に自分の孫に宛てて書いた遺言書には、
「自分のことばかりを考えて高利を望んではならない」と家訓を書き記しています。

商品を売って自分が利益を得るだけでなく、
「売り手よし」「買い手よし」を重視して双方が気持ち良く取引し、
その後の関係構築につなげる。他国で商いをする上で、
その地の産業を破壊するのではなく地域に貢献できる商売をする。
このような意識が、近江商人の軸となる「三方よし」の考え方を育てていったのでしょう。

「地域のおかげ、社会のおかげ」を貫いてきた近江商人の哲学。
岩根さんが「持続可能なビジネスを考える上で必要な考え方だ」と
三方よし研究所の活動を続けてきたとおり、
企業のCSR活動やSDGsが重視される今、あらためてこの哲学に光が当てられています。

近江商人の足跡を東京日本橋に見る

江戸時代に日本橋に進出し、日本の経済発展に大きく寄与してきた近江商人。
彼らが立ち上げた会社や彼らの活躍の足跡は、現在の日本橋にも残されています。
今回はその代表的な場所をご紹介します。
もしかしたら、もう何度も目にしている場所が入っているかもしれませんよ。

柳屋ビルディング

柳屋ビルディング
1615年に漢方医が徳川家康からこの地を賜り、
紅、香油、おしろいなどを販売する「紅屋」を創業。
その後「柳屋」として継承されました。
のち、江戸に進出した近江国蒲生郡小房村(現東近江市桜川西町)出身の近江商人、
外池(といけ)本家が柳屋油店を買収、現在まで継承しています。
大正から製造販売を開始した「柳屋ポマード」は一世を風靡するなど、
戦後まで続く柳屋を代表する商品でした。
1964年の東京オリンピックが開催された年に完成した建物は
当時のままの姿で日本橋の交差点を見守っています。

『柳屋ビルディング』
住所:東京都中央区日本橋2-1-10
詳しくはこちらから

日本橋西川

日本橋西川
現在の近江八幡市で生まれた近江商人によって1566年に創業された西川株式会社は、
1615年に日本橋に店舗を構え、以来400年にわたって近江商人の精神を受け継いでいる企業です。
行商から始まった西川株式会社は時代に合わせて商売の形を変え、現在は寝具を中心に扱っています。

『日本橋西川』
住所:東京都中央区日本橋1-5-3
詳しくはこちらから

丸紅株式会社

丸紅株式会社

150年を超える歴史を持つ総合商社「丸紅」のはじまりは、
近江商人である創業者・初代伊藤忠兵衛が大阪で開店した呉服屋でした。
時が流れ、昭和期に丸紅商店(後の丸紅株式会社の前身)の専務などを歴任した
実業家・古川鉄治郎は、私財を投げ打って地元である滋賀県犬上郡に豊郷小学校を建設しました。
建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による西洋建築は
「東洋一の小学校」と称され、現在でも人々に愛されています。

『丸紅株式会社』
東京都中央区日本橋二丁目7番1号 東京日本橋タワー
詳しくはこちらから

メルクロス株式会社

メルクロス株式会社
食品全般やインテリア雑貨など幅広い商材を扱っている
老舗の商社「メルクロス株式会社」は、創業者に近江商人を持つ企業の一つです。
安土桃山時代の1585年に創業され、畳表や蚊帳、ふとん綿用の河内木綿などを手がけました。
近江商人を多く輩出した滋賀県近江八幡市に本家があり、
本家では扇子工芸品の「西川庄六商店」を運営しています。

『メルクロス株式会社』
東京都中央区日本橋3-3-9
詳しくはこちらから

日本橋高島屋


1831年、創業者の初代飯田新七が、近江国(滋賀県)高島郡出身の
義父が京都で営んでいた米穀商「髙島屋」から分家して、
古着と木綿を扱う店を京都で開いたのが始まりです。
現在の「日本橋高島屋」ができたのは1933年のこと。
大理石と、今ではほとんど見ることのできない手動式エレベーターは姿を残し、
国の重要文化財にも指定されています。

『日本橋高島屋』
住所:東京都中央区日本橋2丁目4番1号
詳しくはこちらから

このほかにも日本橋小伝馬町にある滋賀銀行の東京支店は、
1946年7月に開設されました。これは地方銀行のなかで
最も早い東京への支店進出です。それだけ滋賀生まれの商人が
東京日本橋と強固なつながりを持っていた証と言えるかもしれません。

近江商人の足跡が数多く残る日本橋。
「日本橋の地図を片手に持ちながら目的地を決めずに歩くと、
思わぬ発見がある」と岩根さんは言います。
たまにはのんびりと町歩きを楽しみながら、
今に受け継がれる近江商人の哲学に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(写真:辻村耕司 文:菊池百合子)

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